この記事はエンターテイメント作品の変化に思う事と
人が他者と自分、喪失という体験に対して向き合うことについて
考えたことをご紹介しています。
<3月は耳の日のある月>
気づけば桜や沈丁花、菜の花と言った春を告げるお花が咲き始め
あっという間に3月も残すところあと数日ですね。
気温差の激しい日が続いていますが皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。
聴覚関係のお仕事に従事している多くの方が
同じの感想をお持ちだと思うのですが
3月は1年の中でも比較的忙しい月です。
何故かというと3月3日が耳の日だから。
耳の日に合わせて啓発のイベントやセミナーが開催されることが多いので
通常の業務に比較してお仕事の量が増える季節です。
一昨年・去年・今年共に人を集めるのは難しいため
オンラインなどで行われていましたが
今後はどうなっていくんでしょうね。
耳の日の前後に関連の記事などが増え
記載されるコメントを眺めていたら
まだまだ「障害」は社会の問題ではなく
「個人の喪失・足りない特質」といった捉え方が多く
「障害」という概念を社会から無くすのには
まだまだハードルが沢山だなと改めて思いながら過ごしました。
<エンターテイメント作品の変化>
そんな気持ちが前向きになる芸術作品が
最近増えて来ているのかな
と感じたのが、ここ最近の映画やドラマにおける変化。
特に今回のタイトルにした作品は心に残る点が多くありました。
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