みみの会社のブログ_JINO

耳に関するヒト・モノ・コトについてご紹介するブログです。

「お笑い」が気づかせてくれたこと

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ドリフを見直して思い出したこと

大好きな芸人さんの1人である志村けんさんが昨日逝去されました。

私は生放送でドリフを楽しめた世代。

特に自分の亡き父がドリフ大好きだった影響で、

♪「か~ら~す、何故なくの~♬、カラスの勝手でしょ~」という替え歌が、

替え歌ではなく本筋の歌詞として教えられていたほど

志村けんさんのネタに囲まれた子ども時代を過ごしておりました。

 

日本全国で同じように志村さんのネタにお世話になった人が多いので

多くの人が親戚を亡くしたような悲しみの中にいるように思います。

ご冥福を心からお祈りします。

亡くなられたのを機に、改めて過去のコントを楽しませていただきました。

 

ご時世的にも、笑ってストレスを解消するのは良いそう。

心も塞いでしまいそうな時こそ、積極的に笑顔になれるものを見つけたいですね!

 

ところで、同じように動画でドリフのコントを改めて見たかたも

お気づきになられたと思うのが、

今だと放送出来ないものも結構ありそうだな~ということ。

 

 

今は放送禁止として表現に規制がかかっている要素って

少し前の(といっても30年以上前ですが)TVの中では多用されていたんですよね。

 

もちろん、不快に思われる方も多いことですから

一定の配慮が必要なことも理解しています。

ただ、過剰な配慮、笑っていい・笑っちゃいけない の線引きって

もっと自由に話し合われてもいいんじゃないかなと思って

色々ググってみたところ、沢山の議論や提案を見つけることが出来ました。

 

例えば10年前に掲載されているこちらの記事

salitote.jp

 

文中で著者が語っている

「『どんな笑いであれ、根底に劣者への差別を含んでいる』という中島らもの考えに強く共感する。ハゲ・デブ・ブス・アホ・ビンボー、その人間の弱みや身体的特徴を大げさに揶揄して笑うことで沸き上がる優越感が笑いの本質で、人に優越感を与えて「笑わす」、優越感を与えられて「笑ける」。結局、笑いは与え合いの極致なのだ。」

という点がドリフの本質でもあるな~と。

 

いかりや長介さんも著書の中で

「私(いかりや)という強い『権力者』がいて、残り4人が弱者で、私に対してそれぞれ不満を持っている、という人間関係での笑いだ。嫌われ者の私、反抗的な荒井、私に怒られまいとピリピリする加藤、ボーッとしている高木、何を考えているんだかワカンナイ仲本。メンバー5人のこの位置関係を作り上げたら、あとのネタ作りは楽になった」(『だめだこりゃ』)

と語っていられたそうです。

(参照記事:

news.yahoo.co.jp

 

またWebのTVの中でも挑戦的な話題によく触れていらっしゃるAmebaTVでも

2019年にこんな提示をしていました。

times.abema.tv

 

ちなみに記事内に掲載がないですが

この番組内で言葉だけで紹介されている海外(フランス)で行われた実験の

動画はこちらです↓

 

www.youtube.com

(初めて見た時、周りの人と議論したのを思い出しました。)

 

AmebaTVの番組内で交換された意見はどれもとても納得のいく意見で、

個人的には「障害者と笑い」という著書のある塙幸枝氏のおっしゃっている

「笑っていいのかいけないのか、という問いの立て方が不思議だなと思う。いいと言われたら笑えるのかと言われたら、そうではないし、許可されて笑うことでもない。笑いというのは、対象に批判的でないと笑えないところがあると思う。感情移入したり、同情したり、愛着を持ったりすると、相手を笑うことができなくなってしまう。障害者に共感すべきだと教えられて来た結果、それを突き放すことができないために、どうしても笑いが留まってしまうのではないかと思う。」

という指摘と、

「物議は醸すだろうが、議論をして、この辺りまではOKにしようとか、着地点を見出していくことが大事かなと思う」という乙武氏のコメントが集約してくれいるかなと思ったのが

近視眼的なものの見方をしないように、ということ。

 

久しぶりにみたドリフのコントは、このことを楽しいお笑いの中で

思いださせてくれました。

 

視点を変えて物事を捉える事

よく経営者は「虫の目・鳥の目・魚の目」の3つの目を持ちなさいと言われます。

現場の事象に近いところで多角的に物を見る事、全体像を見る事、

水の流れのように時流を読む事、を表すそうで

私にはどれもまだまだ出来ていないことですが

今回ドリフのコントを久々に見て、最近の自分を反省しました。

 

ウイルスの外出自粛の影響で、JINOの耳のそうだん室も

3月の2週目から、来てくださる方がどんどん減ってしまっています。

もちろんもっと大変な方がたくさんいらっしゃるので、

弱音を吐いている場合ではないのですが、

ニュースを見ても、人との会話の中でも

この話と、先の見えない不安ばかりが先行してしまって

ついつい視点が狭くなってしまっていたなと。

 

そんなことを考えていた昨日の夜、ちょうどNHKハートネットTV

視覚障害をお持ちの方と、呼吸器障害(おそらく他にも)で

常に呼吸器と車いすで移動されている方が、ご自身の立場からのご意見をおっしゃられていました。

 『「目に見えないウイルスが怖い」って日常的に目が見えてる人は大変だな。僕は周りの人が僕がギターケースをもって喫茶店に入った時に白い目で見られて怖いって言ってる妻からの話を聞いて人の目線って怖いなあ~て思いました。まあ、見えないんですけど。笑』

『みなさんにとってはインフルエンザって「かかっちゃった~」程度かもしれないですけど、私にとっては毎冬インフルエンザにかからないようにするのに必死なんです。今年はおかげさまでインフルの罹患者が少なくて、なんだよみんなやれば出来るんじゃんって思ってます。少し皆さんの騒ぎ方が自分のことにばかり偏りすぎって気づいてほしい。』

(細かい一字一句は少し違っていたかもですが・・)

 

確かに厚労省の記載によれば

季節性インフルエンザでの年間死亡者数世界統計が25万人~50万人。

 

www.mhlw.go.jp

ものすごい数の方が毎年亡くなられているのに、

かからないようにする努力はもとより、

他の人に移さないようにする努力についての議論は

自分の周りの、持病を持った家族がいる方とか、

妊婦さんの周りでしかしていなかったです。

 

メディアでそんな議論が行われているのも目にしたことがなかったように思います。

アナウンサーの人がニュースで

インフルエンザの世界感染者の数を毎日読み上げることもないですしね・・

 

これから先、人類が薬というものを開発して

ウイルスや菌をなんとか押さえ込もうとするたびに、

相手も変化して生き延びようとするでしょうから

同じような騒ぎはきっと起こるでしょう。(起きてほしくはないですが・・)

 

今後は健康な人から不要な菌やウイルスを他の人に移さないように配慮すること、

不測の事態にも、多角的な視点で物事を捉えること、

どんな立場の人も笑顔で過ごせるように心を配り、

必要以上の配慮も必要以上の無関心も止めて、

いろんな立場の人が、議論して着地点をさがす努力を惜しまないこと、

といった前向きな変化が社会全体に起こって欲しいな。

 

私の大好きないかりやさんも、志村さんも、私の父も

空からそう願ってくれている と勝手に思うことにします。

 

あ、最後にメディアの方へのお願い。

せっかく色々な知事さんが手話通訳さんをつけて会見をしてくれているのに

知事さんだけクローズアップするの、いい加減止めていただきたい・・

 

何のために手話通訳さんが派遣されているか、ちょっと考えてほしいのです。

字幕を付けた放送なら100歩譲りますが。

知事さんのお顔のアップ、映す意味ってなんなんでしょう。

そろそろこの意見がメディア関係者に届いて、改善されてほしいです。

 

明日からは新年度。

こんな時期でもお休み出来ない医療従事者の皆さん、

教育関係者の皆さん、事業者を助けようと奮闘してくださっている

国・県・市・区などの役場にお勤めの従業員の皆さん、本当にありがとうございます。

そのご家族も含め、くれぐれもお体を壊されませんように。

わたしも一庶民として思考停止せず、出来る事を考え粛々と実行していきます。

 

今回もお読みいただいてありがとうございました!

ご意見ご感想ありましたらコメントまたはメールでも記載いただけたら嬉しいです!

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